学校へ行く必要性はあるのでしょうか?ないのでしょうか?

学校へ行く必要性はあるのでしょうか?ないのでしょうか?

不登校の子どもが増えているようです。
そこまでいかなくとも、学校に行きたくないと
思っている子も実は多いのかもしれません。

なぜ行きたくないのかの理由はさまざまあるのでしょうし、
私には子どもがいないのでその辺はよくわかりません。

ただ、親御さん目線でどう考えるかという点において、
学校は行くべきか、行かなくてもいいか、
その二者択一で非常に悩むところでしょう。

では、学校は何をする場なのかを考えると、
「学びの場」「友達を作る場」「社会のルールを学習する場」
こういったことではないでしょうか。

「学びの場」は一番最後に言及しますのでまず置いておき、
「友達を作る場」について考えてみたいと思います。

友達というのは無理に作らなくてはいけないものでしょうか?
人生において、必要なときに必要な人が現れると言われますが、
友達もそれに該当しますよね。
子ども自身が学校に行きたくないと思うのであれば、
今は友達(=必要な人)はいらないということでしょうし、
そんなときに無理して学校に行けば、友達はできないどころか
むしろいい関係を築くことは難しくなってしまうのではないでしょうか?

次に社会のルールを学ぶ場という点ですが、
家庭におけるしつけや教育をないがしろにして、
なんでもかんでも学校のせいにする
モンスターペアレンツが話題になっていますが、
子どもが小さいうちは親がきちんと社会のルールを教えれば、
ある程度のことはクリアできる問題のような気がしますし、
団体でのルールなどは成長に応じて
いずれ自然と身についていくのではないかなと思うのです。

また、昨今教員の過重労働が深刻な問題となっていますから、
忙しい先生たちでピリピリしているような場所にいることが
社会ルールを学ぶ場としてふさわしいのかどうかも怪しいです。
空気を読む力ばっかり身について、
子どもが疲弊してしまわないでしょうか?

そして最後になりましたが、一番重要な学びの場についてです。

根本的な話ですが、
今の学校教育は本当に大事なことを教えているのでしょうか?

日本史ひとつ取ってみても、
「第二次世界大戦に負けたのは日本人のせい」
といった自虐史観を植え付ける教育をし、
日本文化を教える書道の時間は少なくなり、
反対にグローバル化を目指す英語教育が推進され、
日本人が脱日本化する教育が本当に必要なのでしょうか?

『葉隠武士道』(松波治郎著 ダイレクト出版)
にこういった一文があります。

「学問や技芸が先で、根本の忠を忘れた者は日本国民とは言えない」

つまり、
「国家のための学問、国家のための技芸でなければ、
それは日本国民として正しい道ではないと言っている」
と作者は解説しています。

歪曲した教育が今の学校教育の現状であるなら、
学校へ行く理由がないどころか、
学校に行ってはいけないとすら感じてしまうのですね。

フリースクール・塾・お稽古事に力をシフトしたり、
親が教えるなりほかの方法を探してみて、
国語に関しては徹底的に読書の習慣を身につけることができれば、
わざわざ教える必要もないでしょう。

また、正しい日本史についてはこちら
ご紹介していますのでぜひご覧ください。

最近はYouTubeでも教育関係の動画がたくさんありますので、
そういったものを取り入れるのも良いと思います。

学校というものに対する認識をしっかり考えなくては
いけないのは大人のほうで、
子どもはいろんな問題に無意識に反応して
「行きたくない」と感じているのが、
ひょっとすると正しい感覚なのかもしれないですね。

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