察する力と鈍感力のほどよい加減を知りたい
横断歩道を渡ろうとしたときに、向こうから歩いてきた若い女性が、フッと呆れたような軽蔑したような、そんな目でこちらを見た瞬間、
「マスクし忘れたっ!!!」
と即座に気がつき、その瞬間に踵を返して自宅に戻りました。
自分でいうのもなんですが、空気を読んだり、表情からその人の考えていることを推測する力はかなり高いのですよ。
普段そうした「察する力」が高すぎても、良いことなどまったくないのですが、このときばかりは助かったと思いました。そのあとスーパーに行くつもりだったので、そのままマスクなしだと「とっても非常識な人」全開だったところです。
一方、電車の中で、わりと大きめの声で爽やかに営業の電話をしている若い男性もいれば、空いているとはいえ、走行中からガラケーで話し始める推定80代男性もいます。
その鈍感力、少し分けてちょうだい。
日本にいると、空気を読む力を要求されることって、すごく多いですよね。それで疲れることもありますよね。
そうした過剰な配慮をどこまで割り切ったらいいのかなんて考えるのですが、結局できないんですよ。
なぜなら、もうすでに気づいちゃっているから。
だから、鈍感な人ってとんでもなくラクだと思いますよ。なんにも気づかずに生きているのって、本当にうらやましい。
なぜそんなふうになれるのかというと、人間のもともとの性質プラス育ち方で今が出来上がっているんですよね。
こういったことも日本での生きにくさのひとつなのでしょう。
そんなことを古文書の中で見つけてみたいものです。